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2016年12月14日
この日、世界各国でGoogle検索のロゴが以下のものに変更されています。
105 år siden Roald Amundsen nådde Sydpolen
105th anniversary of first expedition to reach the South Pole
人類初の南極到達 105 周年
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初の南極点到達
南極点:South Pole
人類が初めて「南極点」に到達したのは「1911年12月14日」です。
ノルウェーの「ロアール・アムンセン」さんが率いる探検隊が到達しました。
その日から105周年となります。
南極大陸発見
南極は地球の一番南にある大陸です。
大きさは「約1400万平方メートル」、オーストラリア大陸の2倍程度となります。
昔から、南の土地には「メガラニカ(Magallanica)」という未知の大陸があるのではないか、、、と推測されていました。
世界一周をした「マゼラン」、イギリスの海軍提督「ドレーク」、オランダの探検家「タスマン」なども未知の大陸を求めて航海を行いましたが、発見することはできませんでした。
イギリスの探検家「クック」は「1773年」に南極大陸まで、あとわずか、、、というところまで船を進めますが、濃い霧に阻まれたこと、また、人類が居住可能な場所で無いことなどから探検を終了しています。
未知の大陸が「南極大陸」として実際に発見されるのは「1820年」のことです。
ロシアの探検家「ファビアン・ベリングスハウゼン」さんと「ミハイル・ラザレフ」さんが、南極海を探検中の「1820年1月28日」に「南極大陸」を発見しました。
この最初の発見には諸説あり、イギリス海軍の「エドワード・ブランスフィールド」さんが「1820年1月30日」に発見した、他にも、アメリカ人アザラシ漁師の「ナサニエル・パーマー」さんが「1820年1月27日」に発見した、ともいわれています。
いずれにしても、上記3つのいずれかが最初の発見と言われています。
新しい大陸が発見されたのですが、当時の見解では、南極は氷に閉ざされ、めぼしい資源も無いと判断され、しばらくは忘れ去られた存在となります。
南極点に向けて
発見からしばらく経った「1831年6月1日」、イギリスの探検家「ジェイムズ・クラーク・ロス」さんが「北磁極」に到達します。
このことが、「南極大陸」に再びスポットが当たるきっかけとなります。
「北磁極」への到達により、その対極の「南磁極」に注目が集まったのです。
「ジェイムズ・クラーク・ロス」さんは、次に「南磁極」を目指します。
「1841年〜1843年」にかけて、南磁極への到達を目指しますが、到達には至りませんでした。ですが、この探検で多くの貴重な調査結果を得ることができました。
それからしばらくは探検隊の派遣も途絶えてしまいますが、1900年以降、イギリス、ドイツ、スウェーデンなど、ヨーロッパ各国が探検隊を派遣するようになります。
数々の冒険家、探索隊が南極大陸の南を目指し、少しずつ大陸の様子がわかってきます。
「南磁極」への最初の到達は「アーネスト・シャクルトン」さん率いるイギリスの探検隊です。「1909年1月16日」に到達したと言われています。
そして、その2年後、ようやく「南極点」に到達したのは、ノルウェーの探検家「ロアール・アムンセン」さんです。
「1911年12月14日」に彼と、その他4人の隊員が南極点に到着しました。
彼は南極点にポールハイムというキャンプを張り、南極点周辺の台地をノルウェー国王の名前にちなんで「ホーコン7世の台地:King Haakon VII Vidde」と名付けました。
実は、彼の探検隊は当初は、当時まだ到達されていなかった「北極点」を目指す予定でした。
ところが、準備中の「1909年4月」にアメリカの探検家が北極点に到達したという報告を受け、目標を南極点に変更しました。
もし、そのまま「北極点」を目指していれば、最初の到達者は他の方になっていたのかもしれません。
南極条約
現在の「南極大陸」は?? というと、、、
「1959年12月1日」に南極における調査研究に協力体制を築いていた12カ国で「南極条約」が採択されます。
条約は、軍事的活動や鉱物採掘を禁止し、科学的研究の支援と生物地理区としての保護を定めています。
現在は加盟国も増え、多くの国から科学者たちが派遣され、研究や実験が行われています。
日本の南極到達
日本の南極探索の歴史ですが、、、
「1912年1月16日」に「白瀬矗:しらせ のぶ」さん率いる探検隊が初めて南極に上陸しました。
その地点を「開南湾」と命名しています。これは、彼の探検隊の船「開南丸」から名付けられました。
探検隊は、奇しくも「1911年12月14日」に南極点に初めて到達した「ロアール・アムンセン」さんの探検隊を迎えにきていた船とも遭遇しています。
彼らも南極点を目指しますが、困難を極め、目的を学術調査に切り替え、調査後に帰還しました。
帰還後「1913年」に探検の記録「南極記」を出版しました。これは、後の探検隊の貴重な資料となりました。
それから時は流れ、第2時世界大戦後、日本は敗戦国となります。
戦後の「1955年」、日本は南極観測参加の意思を表明します。ところが、敗戦国ということから他国の反発があり「資格なし」とされてしまいます。
そこで、「白瀬矗」さんの南極探索の実績を挙げて反論し、参加を認められました。
そして翌年の「1956年」、第1次南極地域観測隊が派遣されました。
それから南極の観測が続き、日本が南極点に初めて到達したのは「第9次南極地域観測隊」の派遣された「1968年12月19日」です。
さて、日本の南極観測参加のきっかけとなった「白瀬矗」さんの探検隊ですが、、、、
当時は、政府からの援助は得られず、後援会を作りなんとか資金を集めての出発でした。
他国の10分の1の予算、船は中古の木造の漁船を改造したもの、と散々な状態で挑みます。
そんな状況での南極大陸への到達、そして、誰も遭難者を出さず、無事に帰還するという快挙を成し遂げました。
遭難者、被害者を出さずに帰還したことは、当時の世界の賞賛を受けたそうです。
ところが帰還すると、後援会メンバーが、集めた資金を遊戯費として使い込んでしまっており、莫大な借金が待っていました。
その後、彼は家財を売り払い、転居を重ね、講演を続けて20年にわたって借金を返し続けました。
晩年は質素な生活だったといいます。死因は栄養失調による腸閉塞症だったそうです。
日本で初めて南極大陸に上陸した「白瀬矗:しらせ のぶ」さん。再評価したい偉人です。
1961年に彼を讃えて「1912年」に調査を行なった地域が「白瀬海岸」と名付けられました。
現在の日本の南極観測船「しらせ」も、これが由来となっています。(人名ではなく、地名から名付けられたものです。)
ロゴデザイン
「ロアール・アムンセン」さんが南極点に設置したキャンプ(ポールハイム)がデザインされています。
厳しい風にさらされている様子、また、キャンプの周りにはソリなどが描かれています。
南極点を示すように「S:South」の文字が頂点に描かれています。
ロゴ表記されている主な各国のGoogle検索サイト
▼ ノルウェーのGoogleサイト:sydpolen
→ https://www.google.no
▼ イギリスのGoogleサイト:first expedition to the south pole
→ https://www.google.co.uk
▼ スウェーデンのGoogleサイト:Första expeditionen till Sydpolen
→ https://www.google.se
▼ ドイツのGoogleサイト:südpol expedition amundsen
→ https://www.google.de
▼ 日本のGoogleサイト:人類初の南極点到達
→ https://www.google.co.jp
検索される言葉は「南極点」、「人類初の南極点到達」です。
コメント
悲しいかな良い文なのに誤字がありました。
その後、彼は家財を売り払い、転居を重ね、講演を続けて2た0年にわって借金を返し続けました。
と ”わたって” の”た”が前に飛んでます。
良いことを知れました これからもがんばってください
>匿名 さん
ご指摘ありがとうございました。誤字については修正いたしました。