金子みすゞ 生誕114周年

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2017年4月11日

この日、「日本」でGoogle検索のロゴが以下のものに変更されています。

金子みすゞ 生誕 114周年

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表示された国

日本

「金子みすゞ」さんって??

金子みすゞ

日本を代表する詩人です。

「1903年4月11日」に生まれて、「1930年3月10日」に逝去されています。

そのため、生誕114周年になります。

本名:金子テル

山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)に生まれます。

父親は、叔父の経営する書店の支店(清:中国)に勤めていましたが、彼女が3歳のときに現地で亡くなってしまいます。

その後、家族で叔父の書店を手伝いながら成長していきます。

そんな環境で育ったためなのか、幼い頃から読書が好きで、成績も優秀だったそうです。

20歳の頃から詩を書き始め、1923年に、4つの雑誌に投稿した作品が、すべて掲載されるという快挙を成し遂げました。

その4つの雑誌は、「童話」、「婦人倶楽部」、「婦人画報」、「金の星」です。

「童話」の選者であった「西條八十」からは、「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されています。

1926年、23歳の時に、書店で働いていた男性と結婚、娘が生まれます。

ところが、結婚した男性が放蕩無頼な人物あり、女性問題で書店を追われてしまいます。

古い時代のことなので、彼女は夫に従うしかありませんでした。

夫の問題はこれだけで収まらず、彼女の詩作や詩人仲間との交流を禁じます。さらに、他でもらってきた「淋病」を彼女に感染させてしまいます。

このようなことから、2人は離婚することになりました。

問題は一人娘です。

彼女は手元で育てたいと望みましたが、当時の民放では親権は「子と家を同じくする父」となっていました。

夫に親権を要求しましたが、抵抗され、その結果、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺しました。

1930年、26歳での死です。

生前、彼女の残した詩作は500遍にも及んだそうです。

死後、彼女の残した作品は散逸し、忘れられた存在となっていきました。

再び注目されたのは、それから50年ほど後のことになります。

長い年月埋もれていた作品が、児童文学者の「矢崎節夫」さんの努力で1984年に作品集として出版されます。

すると、瞬く間に人気となり、再評価され、小学校の教科書にも掲載されるようになりました。

生誕100年目にあたる2003年4月11日には生家跡に「金子みすゞ記念館」が開館しました。

記念館の館長は彼女の作品を再び世に送りだした「矢崎節夫」さんです。

ロゴデザイン

「金子みすゞ」さんの作品「私と小鳥と鈴と」がロゴのモチーフになっています。

わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない

わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど

あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ

鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい

一度は聞いたことのある詩ではないでしょうか。

「Google」の文字も見受けられます。

また、「こだまでしょうか」も有名な作品です。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
 
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
 
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
 
そうして、あとで
さみしくなって、
 
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
 
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

ロゴ表記されている主な各国のGoogle検索サイト

 日本のGoogleサイト:金子みすゞ
 → https://www.google.co.jp

検索される言葉は「金子みすゞ」です。

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