メアリ・シーコールを称えて

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Googleロゴ

2016年10月14日

この日、「イギリス」、「アイルランド」でGoogle検索のロゴが以下のものに変更されています。

Celebrating Mary Seacole

ロゴ大

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ロゴ小

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表示された国

この日、「Google」のロゴが変更された国は以下の画像の通りです。

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イギリス、アイルランド

「メアリ・シーコール」さんって??

Mary Jane Seacole:メアリ・ジェーン・シーコール

ジャマイカ出身の看護師です。

クリミア戦争時に前線へ赴き、敵味方隔てなく多くの負傷者を救いました。

「1805年」に生まれて、1881年5月14日に逝去されています。

スコットランドの父親とジャマイカ人の母親の間に生まれます。

母親はジャマイカのキングストンで宿を営み、その傍らで、病気になった人をハーブや伝統療法を用いて治療をしていました。

この知識が娘の「メアリ」にも受け継がれ、後に彼女も「女医」になります。

1850年になると、ジャマイカ等、中米で「コレラ」が蔓延します。

彼女はハーブや伝統療法の知識を集め、それを利用して抑止に大きく貢献します。

さて、その頃のヨーロッパでは、、、

1853年、「ロシア」が「トルコ」へ侵攻します。

「ロシア」が強大化するのを恐れた「イギリス」、「フランス」が「トルコ」を支援することにしました。

この構図がクリミア戦争です。

イギリス軍がトルコに向かうと、そこで「コレラ」等の伝染病が蔓延。

数週間で何千人もの兵士が戦闘ではなく、伝染病で死んでいきました。

戦死者よりも病死者の方が圧倒的に多いのですから、伝染病は脅威となっていました。

この惨状を耳にした「メアリ・シーコール」さんはロンドンに渡り、イギリス軍に救援活動を行うことを申し出ました。

ジャマイカで培った知識が役に立つのではないかと考えてのことです。

ところが、彼女の申し出は拒否されてしまいます。

当時は人種的偏見が根強く、植民地で生まれた子供ということで拒否されたのかもしれません。
(当時女性が医療にかかわることに対しての偏見があったからとも言われています。)

そんな中、「1854年10月14日」、タイム紙が「兵士の多くがコレラが原因で死んでいる」ことを報じました。

すると世論も沸騰します。

イギリス政府はすぐに「ナイチンゲール」さんを中心とした看護チームを編成し、戦地へ派遣します。

このチームに「メアリ・シーコール」さんも参加を志願しましたが、拒否されました。

中米でコレラの抑止の実績があったにも関わらず、参加を拒否されたことに、当時の人種的偏見が伺えます。

そこで、彼女は自費でクリミアに向かいます。現地にて改めてチームへの参加を申し出ますが、再び拒否されてしまいました。

そのため、看護チームとは別で看護活動を行いました。

「ナイチンゲール」さん達の看護チームは、前線から離れた後方基地を中心に活動していましたが、彼女は前線に赴き、敵味方隔てなく多くの負傷者を看護しました。

クリミア戦争は「1856年」に終結。彼女はイギリスに戻ります。

彼女の活動は、現場において賞賛を受けましたが、政府の依頼でもなく、自費で赴き、自主的に活動していたことから、「ナイチンゲール」さんの看護チームとは対照的に世間から忘れ去られてしまいます。

近年になって、ようやく彼女の功績が再評価されるようになりました。

タイム紙が戦場の様子を報じたのが「1854年10月14日」、2016年のこの日に「メアリ・シーコールを称えて」のロゴが表示されました。

ロゴデザイン

ランプを持って戦場を移動する「メアリ・シーコール」さんでしょうか。

1610147

「Google」の文字も見受けられます。

ロゴ表記されている主な各国のGoogle検索サイト

 イギリスのGoogleサイト:Mary Seacole
 → https://www.google.co.uk

 アイルランドのGoogleサイト:Mary Seacole
 → https://www.google.ie

検索される言葉は、「メアリ・シーコール」です。

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