パウル・クレー 生誕139周年

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Googleロゴ

2018年12月18日

この日、「スイス」をはじめとして、様々な国で、Google検索のロゴが以下のものに変更されています。

Paul Klee’s 139th Birthday

139. Geburtstag von Paul Klee

139e anniversaire de la naissance de Paul Klee

パウル・クレー 生誕139周年

ロゴ大

ロゴ小

表示された国

この日、「Google」のロゴが変更された国は以下の画像の通りです。

「スイス」をはじめとして、様々な国で表示されています。

「パウル・クレー」さんって??

Paul Klee:パウル・クレー

スイスの画家です。

キュビズム、シュルレアリスム、表現主義など、時代の変遷に影響を受けながら独自のアプローチで様々なスタイルの作品を生み出しました。

「1879年12月18日」に生まれて、「1940年6月29日」に逝去されています。

そのため、生誕139周年となります。

スイスの首都ベルンのミュンヘンブーフゼーで生まれます。

父親は音楽教師、母親も声楽家という音楽一家で、彼自身も幼い頃からバイオリンを弾いていました。

バイオリンの才能に溢れ、11歳の時にはベルン市の管弦楽団にゲストプレイヤーとしても招かれるほどでした。

音楽以外にも、文学や絵画など、多くの才能を有していました。

両親は、彼を音楽の道へと進めたかったのですが、彼は古典音楽に関心があり、当時の現代音楽にはあまり興味を持っていませんでした。

また、ちょっとした反発心から、自分でクリエイトすることに興味を持ち、絵画の道へと進むこを志ざします。

1898年、両親を説得し、ミュンヘンの「ミュンヘン美術院」「Heinrich Knirr:ハインリヒ・クニル」さんや「Franz von Stuck:フランツ・フォン・シュトゥック」さんから美術を学びます。

3年後の1901年10月〜1902年5月にかけて、友人の画家「Hermann Haller:へルマン・ハーラー」さんと一緒にイタリア(ローマ、フィレンツェ、ナポリ等)を旅し、過去の巨匠たちの絵画を研究しました。

その後、スイスへと戻り、両親としばらく一緒に暮らします。

その時には、美術を教えながら、黒いガラス板に針で描くなどの実験的技法を試し、作品を制作していました。

また、音楽の才能を活かし、バイオリン奏者としても収入を得ていました。

1906年、「ミュンヘン美術院」時代に知り合い、交際を続けていたバイエルンのピアニスト「Lily Stumpf:リリー・シュトゥンプフ」さんと結婚。

ミュンヘンへ移住し、翌年には子供も生まれました。

ところが彼には仕事がなく、奥さんがピアノ教師として家計を支える時代が続きます。

この頃、雑誌のイラストレーターになろうとしますが、失敗しています。

無職だった彼は、家庭では家事や育児をこなしつつ、芸術の追求を行い始めます。

「セザンヌ」や「ゴッホ」の作品に影響を受け、独自の表現を追求していきました。

そして1910年、初めての個展をスイス(ベルン)で行いました。

1911年には、ミュンヘンで活躍していたロシアの画家「Василий Васильевич Кандинский:ワシリー・カンディンスキー」さんや、ドイツの画家「Franz Marc:フランツ・マルク」さんと親交を深め、芸術家サークル「Der Blaue Reiter:青騎士」を結成します。

1914年にはチュニジアを旅行し、そこで、これまでの作風がガラッと変わるぐらいの大きな影響を受け、以下の言葉を残しています。

Die Farbe hat mich. Ich brauche nicht nach ihr zu haschen. Sie hat mich für immer, ich weiß das. Das ist der glücklichen Stunde Sinn: ich und die Farbe sind eins. Ich bin Maler.

私は色彩を持っている。色も私を永遠に捉えている。これはラッキーなことで、色と私は一体なのだ。私は画家なんだ。

この旅行が転機となり、彼の独自の色彩豊かな作風が生まれ、定着していくことになります。

その後の作品で、彼の作品は大きな評価を得ていきます。

ところが、その時代、世の中は「第1次世界大戦」を迎えていました。

芸術家たちも兵士として動員され、彼自身も従軍。この戦争で「青騎士」の仲間だった「フランツ・マルク」さんが戦死し、大きなショックを受けました。

戦後は、ミュンヘンを拠点に活動。

ドイツの総合芸術の学校「バウハウス」で後進の指導も行いました。

ヨーロッパを代表する現代芸術家の1人と称されるようになり、ニューヨークやパリでも個展が行われ、世界的な芸術家へと名声を高めていきます。

順風満帆な芸術家生活でしたが、1930年代になると、ドイツではナチスの台頭により、前衛芸術の弾圧が始まり、彼もその対象となりました。

そのため、生まれ故郷のスイスへと亡命。

晩年はスイスで精力的に活動を行いました。

特に1939年は、「スケッチ」や「デッサン」なども含めると、1年間の制作総数が「1,200点」以上にも及んだようです。

キュビズム、シュルレアリスム、表現主義など、時代の変遷に影響を受けながら独自のアプローチで様々なスタイルの作品を生み出した、近代美術を代表する芸術家の一人です。

1897年頃から、第1次世界大戦に従軍した1918年頃まで、彼は日記を書いており、その日記から、育児などの家庭のことを始め、彼の人生や思考について知ることができます。

ロゴデザイン

「パウル・クレー」さんの作風がモチーフになったロゴとなっています。

絵画の中に「Google」の文字が隠されています。

ロゴ表記されている主な各国のGoogle検索サイト

 スイスのGoogleサイト:Paul Klee
 → https://www.google.ch

 ドイツのGoogleサイト:Paul Klee
 → https://www.google.de

 フランスのGoogleサイト:Paul Klee
 → https://www.google.fr

 日本のGoogleサイト:パウル・クレー
 → https://www.google.co.jp

表示されるGoogleロゴのクリックで検索される言葉は「パウル・クレー」です。

→ 他の国のロゴを表示させる方法

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